「あー死にたーい」

　ソファに倒れながら声をだした。

　「死にたい」よく言ってる。よく思う。子供の頃から。
　
　こんな私のくちぐせをいつも無関心に聞き流しているヒスローがバイクの雑誌を広げたまま言った。
　
　「俺なんでそう思うのかわかんない。」

　「思ったことない？」

　「ないよ。一度も。」

　これには驚きだった。私はソファからからだを起こしてしまった。そんな人がいるなんて思いもしなかった。「死にたい」なんて誰だって一度は考えたことのある一過性の麻疹みたいなものかと思ってた。あたしのまわりにはそんな知人も多かったように思うし、私は小学校の時から遺書を持ち歩くのを今もやめられないでいる。
　
　「寂しい時か、苦しい時か、あー死にたいとか思わない？」

　ヒスローの寝そべっているマットレスまでいって、そこでもう一度倒れた。ミクはソファの端にすわったままなにかひとりでブツブツ言っていた。
　
　「私、今朝までナッキ君の電話待ってて、でも電話がかかってこなくて、それで午前中ずっとベッドの中でこのまま死にたーいって考えてたよ。」

　私がヒスローに体をくっつけてヒスローが見ていたバイクの雑誌の上に頭をおおいかぶせた。
　　
　「苦しいとか思うのはわかるけどさ、だからってなんで自殺に直結するのかがわかんないよ。」
　ヒスローはたぶんしかたなく雑誌から顔をあげて今度は窓のほうに目線をやりながら言った。　
　
　「それにしてもまた男かよ。」
　
　「私すぐ思っちゃう。自殺するきっかけを待ってるみたいに、なにか起こるとすぐ『あー死にたーい』って思っゃう。寂しいとすぐ死にたくなるよ。」
　
　「それが思考の癖になっちゃってるんだよ、マリアは。」
　
　私はからだを回転させてヒスローから少し離れたところで横向きになった。ヒスローに背中を向ける格好になって膝を曲げた。雑誌のページをめくる音がした。
　
　何度ビルの屋上にのぼっても、ロープからなにから道具をそろえても、飛び下りたり首をつったりすることに踏み出せなくて、睡眠薬を大量に飲んでみて”失敗”、それで、睡眠薬を飲んで外で寝て凍死できるか試してみて、発見されて”失敗”。
　”成功率”が低いと聞いていたせいかナイフで体を切りつけようとはvわなかった。
　それでアルコールやドラッグが死期を早めてくれるなら、それもスロウな自殺になるんじゃないかと思って今のサイケな生活ぶりに、結びついたわけだけど。
　
　「それが、俺がマリアを理解してあげらんない部分なんだけどな。」
　雑誌のページがめくられる音がまた聞こえた。
　
　スロウな自殺といえば、
　え？あ、あれ？ヒスローって私のこと理解しようなんてvうことあるんだ、へぇ。
　
　スロウな自殺といえば、断食し続けたら死ねるんじゃないかって２ヶ月くらいなにも食べなかった頃があった。私は激ヤセしてガイコツみたいになって、心配したエイミーが寝ている私の口に無理矢理ピザを押し込んだ。ピザ代を払ったのはヒスロー。
　
　小学生の頃からの私の自殺おためし履歴を書いたらおもしろいと思う。子供の頃って今考えると笑っちゃうような自殺方法を真剣に試していて、その頃のことをふと思い出しては部屋にいる誰かかれかに話して聞かせてる。今となっては、みんな聞いてなくて、あいづちをうってくれるのはミクぐらい。ミクはソファの端に座ってまだなにかブツブツ言っている。朝から粉のカクテルでも食べたんだろう。
　
　お盆のあたりで、家にロウソクがいぱいあって、それに火をつけて、手に持って、溶けたロウを自分のからだにダラダラたらして、からだ全部をかためてしまおうとしていた。全身をロウでおおうことができたら死ねるんじゃないかなと思って、全身をうまくロウで固めることができるまで２、３日試した。そのうち、無理って気がついてやめた。
　
　あと、ずっと寝ないとか、息を止めてみるとか。
　
　殺されることも試した。
　”血の気が多そう”とか、”暗くて思いつめそう”とか、”ちょっと頭おかしそう”とか、そうゆう臭いのする友達をつくって、わざと激怒させるようなことをして、そうしたらカッとなったりして殺してくれないかなとか思って試してた。これは今でもやってることかもしれない。男に関して。
　男を裏切ったり、怒らせるようなことを言ったり、したりして、いっしょうけんめい恨みを買ってる。
　「マリアはそのうち男に刺されるよ」ってマツザキさんが昔から言ってるけど、今のところ、しょちゅう殴られて青アザをつくってるぐらいで、それだけ。
　男を怒らせるのはすごくうまくなった。
　得意。
　どうしたらキレてくれるのかわかる。
　ケガをして、たまに訴えればお金にもなる。ただ殺されてません。今のところ。
　
　「死にたいなー」
　さっきほど想いに勢いはなくなってたけど、もう一度呟いてみた。ヒスローはもう何も言わなかった。
　
　そういえば、ヒスローに命をSAVEされたことがある。Ｄジャズの前で、DJタクヤのトモダチっていう白人の男から白い錠剤を買った夜のこと。白い錠剤をポケットにいれて、部屋に帰るとみんなでかけていて、私はひとりでバーボンをらっぱ飲みしながらタランティーノを見ていた。ジョントラボルタが撃たれた後、なんとなくポケットの錠剤をバーボンで飲みこんだ。その後はよく覚えてない。頭がぐるぐるまわって、誰かれかまわず電話してやたらしゃべりまくってたとvう。いや、トイレに隠れていたリノと話してたのかもしれない。リノが学校に行きたいって泣いていて、あたし、一生懸命なぐさめてた。　
　
　「パパとママがいつか見つかって、迎えにくるかもしれないよ。それまであたしやヒスローやエイミーやみんながいるじゃない。」
　
　でも誰に聞いてもリノなんて部屋にいなかったらしい。３年前のクリスマスから誰もリノなんて見ていない。
　
　気がついたら、救急病院のベッドで寝ていて、酸素マスクをしていた。
　あとから聞いたヒスローの説明によると、リビングルームにも、寝室にも、バスルームにも、キッチンにも、どこにもマリアが見当たらなくて、ふといやな予感がして薄暗いバルコニーに出てみるとなんとマリアがバルコニーの柵の外側に少しだけ出っ張った狭いカサの上に寝ていたという。地上１５階、幅３０センチのツルツルの表面のところで。
　
　マリア？あたしのこと？あたしなら完全に意識を失っていた。
　
　「おまえをひきあげるの大変だったよ。一歩間違えたらマンションの１５階から落ちゃうし、柵の内側から腕を伸ばしてさぁ、重かったよ、ほんと、死体みたいになってんだもん、おまえ」
　ヒスローが見つけてくれなかったらきっと落っこちて死んでたのかなって思う。
　
　「救急車を呼んだんだよ。そうしたら、警察もきたんだよ。あせったね。おまえ、絶対なんかキメてるんだと思ったから。」
　
　救急隊員がマリアの脈やなんかを調べて、呼吸が止まってることに気づき、人口呼吸をはじめた時、ヒスローは警察の質問に答えながら必死で------マリアがどこかに出しっ放しにしているであろう------ヤクブツの場所を目で探していた。あの部屋の中は明かりが少なくて夜になるとほとんど真っ暗。ヒスローはソファの横でソレを見つけた。
「手が汗ばんでたからさ、これはちょうどいいやと思って、手をそのままかぶせたんだよ。そこに。ぱっと。押し付けて。手の平に全部くっつけたんだ。あとはずっと手を握ってたよ。ひやひやしたぜ。」
 　
　あの時死んじゃってたらよかったかな、ってヒスローには申し訳ないけど、時々思う時があった。
あの時、呼吸が止まって、誰もあたしを見つけることなくそのまま１５階のバルコニーからコンクリートの地面まで落ちてたら、そのほうがスマートだったんじゃないかな、とか。
　もしかしたら落ちないでそのまま空でも飛べたかもしれない。
　
　なんて思うことがあったけど、もう２年も前のこと。今になれば、”死にかけ”で生きてるのが楽しかったりする。
　死にたいんだから、死ねないんだから、死んでるみたいに生きたらいい。
　そのうち死ねるかもしれないし、頑張って張り切って生きることもない。
　だって、ここって頑張って生きるほど価値あるところじゃないじゃん。
　てきとーでいいよ。

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「ねぇ、どうして自殺しちゃダメなの？」
　ミクじゃない、ヒスローに問い掛けた。
　
　ヒスローはソファに移って、テレビを見ていた。
　ミクは私がインターネットを見てるのを横からじっと眺めていた。
　
　「自殺ダメじゃないよ。死にたいやつは死んだらいいよ」
　ミクが言った。ミクならそう言うと思った。だからヒスローに聞いたんだってば。
　
　「自殺掲示板てさ、死にたい人が集まってるんだけど、誰かがマジで死にそうになったら、他の死にたい誰かがそれを止めたりしてるんだよね。見た？ヒスロー」
　
　「俺、わかんないよ」
　
　ヒスローが見てるのは、バイクのレースの中継だった。たぶん夢中だ。あたしの言ってることなんて聞こえてないんだろう。
　
　「自殺したい人同士で殺しあったらいいじゃん」
　ミクがいつも持ち歩いてるナイフをカチャカチャさせながら言った。
　あれで何回か人を刺してる。ヤバイと思ってあたしが１１９番した事もある。ミクが刺した相手に死なれちゃ面倒だし。
　
　「殺すんなら、バラバラ殺人がいいな。あたし、あれやってみたい」
　あたしはここ数年、頭から離れない密かな願望を発表した。
　
　「悪趣味｡」
　ミクに言われた。ミクに。あたしもかなり成長したかも。
　
　ナイフって血で錆びないのかな？ミク、磨いてるのかな？ふと思った。
　
　今朝の死にたい理由ってなんだっけ？ふと思った。

　なんだっけ？